共生福祉財団創立95周年祝辞

尹大統領祝辞

共生福祉財団設立95周年をお祝い申し上げます。

尹致浩伝道師から始まったここ共生園を引き継いだ尹鶴子女史は、愛と献身で4000人の孤児を育てました。日本出身の尹鶴子は、国境を超えて我が子のように育てた「韓国孤児のオモニ」でした。

つらく貧しい激動の歳月のなかでも、尹鶴子女史の愛は、韓日両国国民の心を動かしました。1968年10月、女史が逝去された後も、尹基・共生福祉財団会長を中心に、木浦や日本各地で孤児と障害者、在日同胞の世話を主導し、女史の遺志を継ぐために努力してきました。今後も共生園が、私たちの社会から疎外されている人たちを守るために先頭に立つのはもちろん、韓日両国友情の象徴として、さらに発展することを願います。

政府もやはり社会的弱者をさらに厚く支援する弱者福祉を実現していきます。一人の国民も取り残されないよう、さらに努力します。また、共生福祉財団が推進している「国連孤児の日」の制定と「韓日友好村」プロジェクトも実を結ぶよう願っています。  共生福祉財団95周年にあたり、私たちすべてが設立者である尹致浩伝道師、尹鶴子女史と共に温かい心でこの場にいることは誠に特別なことだと思います。

今日午前、龍山で日韓・韓日親善協会の代表団と会いましたが、この場でも共生園の話が出ました。私は彼らに対し、今年で金大中・小渕恵三両首脳の共同宣言から25周年を経たが、この共生園の活動を見ながら木浦で育った金大中大統領と、やはりよくご存じの小渕総理がいたからこそ、二人の共同宣言ができたのではないかとお話ししました。

金・小渕共同宣言は、まさにこの共生園から出発したと私は考えています。  改めてお祝い申し上げます。(要旨)


岸田首相挨拶(衛藤征士郎・衆議院議員代読)

木浦共生園財団設立95周年、おめでとうございます。

共生園は、日韓国民間での温かい交流の象徴のような場所です。言葉や文化は違えど、お互いを信頼し合えば強い絆が生まれ、引き継がれ、語り継がれていく。共生園と田内千鶴子さんは、そのような人と人との交流の美しさ、力強さを我々に教えてくれます。  故・小渕恵三総理大臣も共生園に強い感銘を受けた一人であります。共生園には小渕総理大臣が寄贈された梅の木が植えられておりまして、千鶴子総理大臣夫人も訪問されたことがあります。

日韓両国は、国際社会における様々な課題への対応にパートナーとして協力していくべき重要な隣国同士です。日韓関係の強化にかける強い思いを共有する尹錫悦大統領閣下とは本年3月以降、すでに6回にわたり会談し、深い信頼関係を築くことができました。  今日というこの記念すべき日に、共生園のような先人の大きな足跡に改めて思いを馳せ、日韓がパートナーとして、力を合わせて新しい時代を切り開くべく、私自身、これまで以上に努力をしていきたいと思います。(要旨)


尹基・共生福祉財団会長挨拶

先ほど、大統領は記念館に入っていただきメッセージをいただきました。「愛と献身の共生園は韓日両国の友情の象徴だ」と。ありがとうございます。

共生園はわが韓国の近代史と同様、日帝時代は苦痛を受け、解放の喜びもあり、朝鮮戦争の時は犠牲もありました。それでも生き抜く大韓民国の建設と共に歩んできました。

今日このように共生園があるのは 尹致浩伝道師、日本人の尹鶴子の愛と犠牲があったことだと思いますが、私が大統領がいらっしゃるこの席でお話したいのは、日本の女性だった尹鶴子に、この土地に住まわせていただき困難な時にも助けていただき、亡くなった時、市民葬までしていただいた木浦市民の精神が今日の共生園をつくった。今、この席に大統領をお招きできたという光栄に至ったのではないかと、こう考えています。そんな意味で木浦市長、全羅南道知事、地域の有志の皆様、本当にありがとうございました。

私は今年3月、大統領が東京へいらっしゃったとき、身に余る席に座り、共生園の話、在日同胞の話を金建希女史から詳しくお聞きして本当に感動しました。

共生園の夢はもうひとつあります。孤児たちに笑顔になってもらおうと、音楽の教師だった母は奉仕をしました。韓国と日本だけでなく、世界の子どもたちに笑顔と希望を届けることができる、そんな国になることができたら素晴らしいと思います。  その意味で今、我が大統領、金女史には、世界のオモニ、アボジになっていただくよう願います。ありがとうございます。(要旨)

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