木浦共生園前にて田内千鶴子生誕110周年訪韓団一行。 前列左から山田篤子さん、佐藤美津子さん、福田孝雄さん、尹基理事長、峯野龍弘団長、勝山健一郎さん、水上洋一郎さん、中島孝夫さん。 後列左から高原幸男さん、山田和人さん、多胡元喜さん、藤森真人さん、裴哲恩さん、神成尚亮さん、上羽清文さん。
田内千鶴子生誕110周年記念式典に向け、日本から峯野龍弘さん(淀橋教会主管牧師)を団長とする訪韓団が組まれ、式典に参加、また木浦共生園ほか韓国の史跡などを見学、田内千鶴子の足跡をたどりながら日韓の歴史に思いを馳せました。以下に、参加者のみなさんから寄せられた感想文をご紹介します。(順不同、敬称略)
▼美しい秋晴れの日、真剣で懸命な眼差し、真っ直ぐで混ざりけのない発達障がい児による演奏で始まった式典に、私は涙が滲んだ。そう遠くない過去に、ここ木浦で、家族を失った多くの孤独な子供たちに愛情を注ぎ続けたひとりの日本人女性の日々に思いを馳せた。(山田篤子)
▼記念式典に参加して、最も印象に残ったことは、困難な歳月の中でも、子供たちへの変わらぬ愛を貫いた田内千鶴子さんの愛が今も生きているということだった。今回、木浦の歴史について深く学べたこともとても良かった。(佐藤美津子)
▼木浦と韓国の人々から田内千鶴子が慕われているのは、国や国籍などに関係なく、困難な立場の人に手を差し伸べる、隣人を愛するという、福祉の精神を彼女が貫いたことに多くの人が共感したからだろうと思う。国連世界孤児の日制定をこの地から発信することは、まことに意味があるといえる。(福田孝雄)
▼田内千鶴子女史の〝アガペーの愛〟が、今日の冷え切った日韓関係を超えて、木浦市民並びに諸教会とお互い日本人と日本の諸教会を、一つに結ぶ〝愛の絆〟となって、今も息づいている現実を、肌で感じ取ることが出来た。(峯野龍弘)
▼尹致浩・田内千鶴子夫妻が創設された「共生園」から始まった事業が、日本においては五か所で継続されていることは、日韓のキリスト教の証しとして、特筆すべきこと、愛の実践として素晴らしい証と感じました。本来、教会がもっとこれらのことを積極的に行わなければならないことを、民間事業として果たされたことに敬意を表しました。(勝山健一郎)
▼田内千鶴子の偉業は様々に語られている。その孤児院の名が示す「共生」こそ今、国や民族などを超える、最も求められていることを日本人はもっと知ってほしい。(水上洋一郎)
▼木浦は、海あり、山あり、食あり、歴史あり、人情もあった。式典当日は、青空と感動があった。 帰国して、もう一度「愛の黙示録」を読んだ。涙した。 木浦の皆さんありがとう! 田内理事長ありがとう!(中島孝夫)
▼孤児を生み出される社会は、健全な平和国家ではないことに強く示唆を受けました。普通に学校を卒業し、働き、結婚をして家庭を持てる。そんな国、共生園でなければならないと強く感じました。(高原幸男)
▼コンベンションの中で、日韓両国の参加者全員が「感謝・愛の詩」(作詞・峯野龍弘、作曲・田中恵子)を山田篤子さんの指揮で大合唱した時、感動で涙が溢れた。歌には民族を超え、国境を超え、文化を超え、人と人のこころを一つにする力がある。(多胡元喜)
▼今回の訪問で、神様が今に至るまでこの地で素晴らしいことをなさっておられる事を肌で感じることが出来ました。田内千鶴子さんがおられた時は、現在より更に日韓関係が難しかった時代であったと思いますが、愛が全てを覆う鍵であると強く教えられました。(藤森眞人)
▼木浦共生園での韓日合同礼拝で朱基澈(チュギチョル)牧師の名前を耳にした。日帝時代に強要された神社参拝に抗い、平嬢刑務所で殉教した牧師だ。父方の祖母の従弟に当たる。敬虔なクリスチャンだった父は、キリスト教徒の矜持を守りぬいた生き方を家訓のように大事にしていた。信仰生活から離れた私を見捨てず、初めて訪れた木浦で神様は手を差し伸べられた。その瞬間、涙が溢れ出た。私をその場に導いてくれた尹基理事長に改めて感謝を申し上げたい。(裵哲恩)
▼木浦共生園のスタッフは正に国境を超えた愛とおもてなしで我々を迎えてくれた。田内千鶴子の精神を見事に受け継いでいるからこそ今日の共生園がある。このことを肌で感じることができた。(神成尚亮)
▼木浦市内見学で、田内千鶴子さんの背景や韓日の歴史を知ることが出来、よかった。秀吉の時代、海戦で死んだ日本人水夫の墓は衝撃的でした。(上羽清文)